日本のポーランド人女性

2007年1月1日

一人で頑張るしかない!

「ポーランド新聞」2007年12月
日本語訳、宮島直機(中央大学、名誉教授)

 wandamenu8

 

レナータ:お噂はかねがね伺っています。
ワンダ:あら、どんな噂でしょう?

レナータ:ご安心ください。いい噂ばかりです。
ところで、今度、在日ポーランド人のために発行している新聞でワンダさんのことを取り上げることにしたのは、この9月にワンダさんがNHKの教育番組「おしゃれ工房」に出演されていたのをテレビでお見かけしたからです。
お客様のおもてなしの仕方やお客としてもてなしを受けたときの作法を紹介されていましたが、テレビに出演されるのは初めてですか?
ワンダ:いいえ、初めてではありません。何回か出演したことがあります。

 

レナータ:ところで、履歴書の「職業欄」には何と書かれているのですか?
ワンダ:「テーブル・コーディネーター」と書いています。日本でこの職業が認められるようになったのは最近のことで、たとえば政府が資格試験を導入したのは5年前のことです。英語ではdesignerと言っています。ポーランド語にこんな職業名はあるのかどうか、さだかではありません。

 

レナータ:テーブル・コーディネーターの仕事を始められたことと大学で勉強されたこととは何か関係があるのでしょうか?ポーランドではワルシャワ大学の日本学科で勉強され、日本に来てからは国際キリスト教大学で勉強されたと伺っていますが。
ワンダ:ええ、関係あると思います。ワルシャワ大学の一年生のとき、卒業論文のテーマに日本の年中行事を選んだのを覚えています。柳田国男が書いた本を苦労して読んだのを思い出しますが、こんな難しいテーマを私が選んだことに、当時ワルシャワにいた日本人も驚いていましたが、これで私の来日が決まったのかもしれません。もちろん、当時は来日するとか日本の大学を卒業することになるとは想像もしていませんでしたが。

 

レナータ:来日されることになったのは、日本人と結婚されたからだと思いますが、それまでに来日された経験はあったのでしょうか?
ワンダ:いいえ、ありませんでした。だからこそ日本に来ることにしたとも言えます。

 

レナータ:まったく知らない国に来ることにしたということですが、不安はありませんでした?
ワンダ:とくに不安は感じませんでした。若かったからでしょう。二十歳過ぎでした。日本語の勉強を始めたとき、その言葉を使って何か出来ることはないかと考えていました。もちろん、まだ具体的にそれが何か判っていたわけではありませんでしたが。期待に胸を膨らませていたということでしょうか。若かったのでやる気満々だった。

 

レナータ:そうでしょうね。でなければ小さな子供を抱えて、日本人のご主人と生活を共にしながら大学に通うなどといったことは不可能でしょう。
ワンダ:そうですね。子供は生後十ヶ月でした。若さのおかげで何も不可能なことはなかったと言うことでしょうか。子供を保育園に預けることも出来ませんでした。働くためならともかく、勉強するために子供を預けることは認められていませんでした。勉強と家事を両立させるのは大変でした。

 

レナータ:ご主人の両親に助けてもらったと言うことはありませんでした?
ワンダ:いいえ、主人と二人で何とか頑張りました。

 

レナータ:国際キリスト教大学を卒業したあと、どうされました?
ワンダ:1977年に大学を卒業したあと、大学で就職のことを相談に行きました。家庭に閉じこもることなど考えてもいませんでしたから。ところが、外国人の女性が日本で仕事を探すなど論外だと言われました。ポーランドに帰って日本語でも教えたらどうかなどと言われました。ショックでした。大学は出たけれど、どこにも行き場がない。いろいろ考えて、翌年「アグロポール」、日本とポーランドの合弁商社で働くことにしました。1978年ー1980年、2年間、そこで通訳業務は主流でしたが、ショールームの展示もしたりしました。ショールームの展示はとても好きでした。「アグロポール」で2年、働いた後、ミサワホームが主宰していた
インテリア・スクールで勉強しました。何か新しいことを始めたくなったからです。この学校で勉強したおかげで新しく仕事を見つけることも
出来ました。

 

レナータ:ミサワホームは、たしか建築会社でしたね。
ワンダ:ええ、家の建築や改装をしていた会社です。その副社長が学校の講師をしていて、生徒は40人もいたのですが、副社長は私に目をかけてくれました。

 

レナータ:もちろん、外国人はワンダさんだけ?
ワンダ:そうです。

 

レナータ:授業は日本語で?
ワンダ:もちろんです。日本人に出来ることなら自分にも出来るはずだと考えるしかありませんでした。大学までの教育はポーランドで、しかも自分は日本人でもないし…。しかし、自分で何とかするしかありませんでした。

 

レナータ:おっしゃる通りだと思います。我々、外国人は助けてくれる人がいないので大変。主人たちの両親は当てにならないし、親類もいないし、コネもないし…。コネのあるなしは日本では決定的ですから。結局、自分で何とかするしかなくて、何とかできる人はいいのですが、どうにもならなくなってしまう人もいて。
ワンダ:そのことは、大学を卒業したときに思い知らされました。誰も助けてくれないということです。

 

レナータ:ご主人は如何でした?
ワンダ:主人が助けてくれることもありましたが、基本的にはすべて自分でやりました。主人は大学で教えていて、そうそう私のことに時間と労力を割くわけにもいきませんでした。

 

レナータ:ミサワホームで仕事をなさったのでしょうか?
ワンダ:ええ、家の改装を考えている人たちのためのセミナーを主宰しました。私は会社にとってよい宣伝材料になったようです。当時は35歳で私もやる気満々でしたし、外人で日本語を話すし、目立つ存在だったと言うことです。

 

レナータ:日本語でむずかしいとされている敬語も問題なく使っていらっしゃるし…
ワンダ:あの頃は本当によくしゃべり、よく働きました。ミサワホームの副社長さんは私の使い方を心得ていたと言うことでしょう。セミナーではテーブルセッティングの仕方を教えました。当時、日本でヨーロッパ風のテーブルセッティングは珍しかったからです。給料も悪くなかったのを覚えています。

 

レナータ:伝統的に日本では、個人のお膳で食事を採ることになっていて、ヨーロッパ風のテーブルが日本で使われるようになったのは明治以降のことだと聞いていますが…
ワンダ:それが庶民レベルで普及したのは戦後のことで、各地で団地が建てられるようになってからです。ダイニングルームが登場して、テーブルと椅子が使われるようになりました。

 

レナータ:テーブルとベッドはヨーロッパでは基本的な家具ということになっています。
ワンダ:ヨーロッパでテーブルは、とても重要な家具ですが、日本でそのことは知られていません。以前、小金井に住んでいましたが、そのとき近所の方のテーブルセッティングを見せてもらってつくづく思いました。たしかに日本人は綺麗なものが好きで、またいいものを持っているのですが、まるで一体感というか統一がされていなくて、無茶苦茶でした。そこでヨーロッパのテーブルセッティングのよさを日本人に紹介しようと考えたわけです。私が育った家でテーブルは大切に扱われ、陶磁器の皿や器といっしょにセッティングの仕方も祖母、母、娘へと受け継がれていくものでした。それはヨーロッパならどの家庭でもおなじで、せいぜい好き嫌いに程度の差があるくらいのものでした。私はテーブルセッティングが小さい時から大好きでした。セミナーが成功したのは、すべてがうまくマッチしたからでしょう。日本人もテーブルセッティングに関心を持つようになり、私も若くてやる気満々で…

 

レナータ:その後、アメリカのフィニッシング・スクールで教えることになったということでしょうか?
ワンダ:アメリカのジョン・ロバート・パワーズ・スクールが東京に教室を開いたのは1986年のことでしたが、その頃、日本では洋風が大流行でした。偶然、ジャパン・タイムズ紙で講師を募集していることを知って応募したのですが、景気はいいのに自分にはチャンスがなかなか廻ってこないということで、ともかく何でも試してみたかったのです。すると応募した翌週に電話があって面接を受けることになりました。校長先生が国際キリスト教大学の2,3年先輩で欧米の事情に詳しい方でした。その場で採用されることが決まりました。

 

レナータ:そのフィニッシング・スクールは若い女性のための学校ということですが、もともとヨーロッパにあったものなのでしょうか?
ワンダ:ええ、スイスやイギリスには以前からあったようですが、アメリカではジョン・ロバート・パワーズという人がボストンに開校しました。テーブルマナーから会話術、化粧法、歩き方、洋服の選び方など上流社会の女性が心得ておくべきことを教える学校で、卒業生のなかには、グレース・ケリーやエヴァ・ガードナーがいます。

 

レナータ:そこで何を教えられたのですか?
ワンダ:「ソーシャル・グレース」です。

 

レナータ:その意味を教えてください。
ワンダ:学校は青山にあったのですが、その食堂はヨーロッパ風の立派なものでした。家具も壁の絵も食器のノリタケも趣味のよいものばかりでした。そこでテーブルセッティングの基本を生徒に教えました。テーブルクロスのこと、ナプキンのこと、食器のこと、花のことなど、テーブルセッティングに関係することは何でも教えました。どの生徒も8時間、私が担当する「ソーシャル・グレース」を勉強することになっていました。勉強熱心な生徒ばかりでした。1980年代の終わり頃には、おなじような学校があちこちに登場してきて、まるでそれが何か流行のようになっていました。楽しい仕事でした。

 

レナータ:フィニッシング・スクールを日本語に訳すと花嫁学校ということになるのでしょうか?
ワンダ:あえて日本語に訳せばそういうことになるでしょうが、しかし正確ではありません。フィニッシング・スクールでは、花嫁学校で教えないことをたくさん教えていました。

 

レナータ:そこで8年間、教えた後、今度はご自分で「宮島ワンダ教室」を始められたということですが、そのとき成城に自宅を移され、そこで開校されたのでしょうか?
ワンダ:ええ、ヨーロッパのテーブルセッティングを教えるとなると、それにふさわしい場所でということになります。資金があれば銀座でも青山でも乃木坂でもよかったのですが、一人でやっていくとなると、残念ながら自宅でということにならざるをえません。

 

レナータ:いえいえ、いまでも生徒さんがたくさんいらして教室が続いているということは、大変なことだと思います。いまお話を伺っているこのすてきな応接間で授業をやっていらっしゃるのですね。
ワンダ:この応接間は「ヨーロピアン・クラシック・エレガンス」という考え方で統一されています。気に入るか入らないかはともかく、ヨーロッパのことに詳しくない人には、とても判りやすいスタイルだと思います。この部屋に入ってくるだけで、ヨーロッパの応接間がどんなものか判るはずです。この部屋の調度品は、全部、日本で買い求めたものです。テーブル、壁の絵、焼き物の食器、すべてヨーロッパのものです。20年がかりで集めました。授業は1年間の「基礎コース」と半年間の「体験コース」等があります。まず「基礎コース」で基本的なことを勉強していただいて、そのあとで「上級コース」で勉強してもらっています。

 

レナータ:「基礎コース」では何を教えていらっしゃるのでしょうか?
ワンダ:季節や行事にあわせてテーブルをどう美しく飾るかということを教えていますが、もちろん生徒さんの生活スタイルも考慮に入れた内容になっています。

 

レナータ:お客様を招くときのテーブルということでしょうか、それとも毎日のテーブルということでしょうか?
ワンダ:どちらかと言うとお客様を招くときのテーブルということになります。お客様を招くとなると、それなりの食器などを用意する必要がありますから。誕生日とか結婚記念日、年中行事にあわせてお客様を招きテーブルをセッティングするということで教えていますが、生徒さんたちはヨーロッパとは違った家庭環境のなかで育ってきていますから、我々のようなカトラリーやナプキンを持っているわけではありませんし、テーブルや椅子があってもヨーロッパのものとは違います。陶磁器もありますが、やはりヨーロッパのものとは違います。そこで自分が持っているものをヨーロッパ風にアレンジするにはどうすればよいかといったことを教えています。伝統の違いというのはむずかしいもので、以前、自分で日本の正月用に食器を揃えようとしたことがありましたが、何を買い揃えてよいのやら判らなくて困りました。おなじことがヨーロッパの食器にもあって、たとえばテーブルに出すグラスは何でも構わないということではありません。そんなことを教えています。

 

レナータ:そうですね。グラスはいろいろな種類があって、それを使い分けるのは大変なことです。ほかの食器についてもおなじことが言えます。
ワンダ:もちろん、必要最小限のことしか教えていません。自分なりのスタイルを作るように教えています。自分にあわないと思うことは取り入れる必要はありません。ただ、必要最小限のことは知っている必要があります。まず必要な食器類をテーブルに並べ、お皿に出すべきものを考えて用意する。ただ、私の教室で料理は教えていません。授業時間は3時間しかありませんし、生徒さんは2人とか3人いますから、台所で料理の仕方を教えている暇はありません。ほかにやるべきことが一杯あります。授業で出す料理は私が予め用意しておきます。スープのような前菜、メインの料理、デザートのケーキの三皿を用意します。ヨーロッパでは日本のように料理に砂糖を使わないので、ケーキは不可欠です。ケーキで不足する砂糖を補うということになります。こうした知識も日本人には必要なことです。教えるためには日本料理についても知っておく必要があったので、銀座の料亭で2年間、勉強しました。

 

レナータ:料亭といえば、伝統的な日本料理を食べさせるところのことですよね。そんなところをどうやって見つけたのですか?
ワンダ:フィニッシング・スクールで教えていたときに、竹下元総理大臣の娘さんが日本料理の勉強会を主宰していることを知って、参加することにしたのです。1991年から93年にかけてのことでした。場所は東銀座の料亭「米村」です。とてもいい経験になりました。毎月1回、土曜日に4時間から5時間、まずその日に食べる料理について講義があって、それから料理が高価な陶磁器に盛り付けられて出てきました。一回に払った料金は4万5000円でしたが、それなりの価値があったと考えています。

 

レナータ:1年間の「基礎コース」では、日本風のテーブルセッティングも教えているそうですが、なぜなのですか?
ワンダ:日本人には必要なことだと思います。日本には日本の伝統があって、それとヨーロッパ風の生活様式をどう調和させるかと言ったことは、むずかしいことですが興味深いことだと思います。

 

レナータ:テーブルマナーも教えていらっしゃるそうですが…
ワンダ:わざわざ教えるということではなくて、必要に応じて言及するといった形に留めています。服装のこととか、作法のこととか。

 

レナータ:自宅の教室以外に六本木でも「ジョージアン・クラブ」で教えていらっしゃるとか…
ワンダ:「ジョージアン・クラブ」は10年前に個人が六本木に建てたイギリス風の建物で、とてもよく出来ています。まずセミナーを個室で行ったあと、地下のレストランでセミナーの内容に因んだフランス料理をいただくということをやっています。セミナーは10回ありますが、そのうちの6回は私が担当して、残りの4回は主人に頼んで料理や食べ物の歴史について話してもらっています。

 

レナータ:ご主人に教室の仕事を手伝わせていらっしゃるということでしょうか?
ワンダ:4年後には定年を迎えるわけですが、そのときに出来ることを今から考えておくのも悪くないのではないかと言っているのです。それに自宅と大学のあいだを往復するだけでなく、ときには違った場所に身を置いてみるのも悪くないのではないかと提案しているのです。

 

レナータ:教室に通ってくるのはどんな方たちなのでしょうか?
ワンダ:北は北海道から南は九州まで、日本中から見えています。たとえばフラワーアレンジメントの教室をご自分でもやっていらっしゃる方で、何か違ったことを授業に付け加えたいとか考えていらっしゃる方は、自宅で教室を開いていることを日常的な雰囲気があっていいとおっしゃります。また、最近、九州から見えていた方はパッチワークの先生でした。会津若松から見えていた方はお菓子の製造販売をしていて、お店のチェンを抱えており、60歳になったのを機に「第二の人生」を違った形のお菓子の製造販売に生かしたいと言っていました。彼女は丸1年、成城の教室と六本木の教室に通ってくれました。私の教室でヨーロッパ風のテーブルセッティングを学ぶこと自体を目的にしていた若い女性もいましたし、さしあたり何をしたらよいのか判らないので教室に来ているという若い子もいました。

 

レナータ:それなりのお金を払うことになると思いますが…
ワンダ:1回の授業で1万8000円いただいています。

 

レナータ:教室以外に会社の従業員向けセミナーも担当されていると聞いています。
ワンダ:欧米人相手の仕事をしている大企業の幹部向けのセミナーを担当していました。そんな人たちにとって大切なのはビズネス・ランチで何を食べるか、どのように話をするかなどと言ったことですが、この種のことで貴重な情報源になってくれているのが、いまワシントン市にあるIMF(国際通貨基金)で働いている息子です。

 

レナータ:それにワンダさんは、最近、テーブルマナーの本も出されたそうですし、いろんなところに記事を投稿されたり、ご自分で教室のホームページ(http://www.wanda-kyoshitsu.org)を開設して運用なさったりしているそうですが…
ワンダ:ええ、これからもポーランドで学んだことを日本の皆さんに教えていきたいと願っています。私の原点は、自分が生まれ育ったところなのです。

 

レナータ:どうも長い間ありがとうございました。今後のご活躍を期待しています。


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